ハロー!腎移植レシピエントの肉球アッパー(@hellokidneylife)です。
私は、25歳頃から高血圧の症状があり30歳頃に近所の内科医院に通院し始め、処方してもらった降圧剤を毎日服用していました。
治療という治療はなく、月に1回通院して血液検査と尿検査を受けていました。
半年に1度、腹部エコー検査を受けました
その結果、多発性嚢胞腎(たはつせいのうほうじん)と診断されました。
これは腎臓の周りに嚢胞という体液の袋が複数癒着してしまうものです。
私の場合、歳を重ねるごとに高血圧と多発性嚢胞腎によって腎臓の機能が少しずつ低下しているとのことでした。
それから15年くらいかけて徐々に血中の「クレアチニン」という毒素の数値が上がっていきました。
本来は腎臓で尿として排出されるのですが、腎臓の機能が低下しているためそれができなくなってきていたのです。
愕然!慢性腎不全の宣告
そして2016年8月、とうとうクレアチニンの値が8mg/dlを超え、人工透析の必要があるとの診断が下りました。
目の前が暗くなるような気持ちになりました
人工透析となれば週3回およそ4時間から6時間、ベッドの上で機械に繋がれる生活になります。
食事も厳しく制限され仕事にも支障が出てきますし、旅行なども難しくなります(まったく不可能ではありませんが)。
さらに私は痛みに弱い体質でもあり、太い針を2本も腕に刺されるのは恐怖です。
血液検査の結果が悪かったと言っても私自身なにも自覚症状は無く、何とか人工透析を回避できないか考えました。
人工透析の導入前にした悪あがき
そんなある日ネットで見つけたのが望星新宿南口クリニックという病院内にある腎臓・代謝病治療機構でした。
そこは、食事療法と投薬治療によって、できるだけ透析導入を遅らせるための診療を行っているクリニックでした。
ワラをもすがる気持ちで予約をし診察してもらいました
やはり透析はまだ必要ないと診断されましたが、そのかわり食事療法を徹底するよう指導されました。
それは、1日のタンパク質と塩分の摂取量をそれぞれ、35グラムと5グラム以下に徹底するというものです。
具体的には、スーパーやコンビニに売っている大体の食べ物(加工品)は食べられません。
外食も低タンパク質で減塩の献立を探すのが困難なので基本的にできません。
お米やパンも含めて多くを下記のサイトで買わなくてはならないという、なかなかツライ生活でした。
ほとんどがお世辞にも美味しいとは言えません・・・
毎日、低タンパク減塩の献立を考え、少しでも美味しくなるよう研究して調理してくれた妻の協力がなければ、とても耐えられなかったでしょう。
つらい摂生生活の末に
通院は3週間に1回です。
採血検査、24時間尿を貯める蓄尿検査(前日に自宅で貯める)、4日分の献立と食材を分量までシートに記録し、それを見せながらの管理栄養士による食事指導、貧血防止の薬物注射を受けることになりました。
低タンパク食・減塩食を続けていると感覚が鈍ってきて食事が楽しいと思えなくなってきます
タンパク質でカロリーを取ることができないため、体重が落ちないように高カロリーを心がけなければなりませんでした。
好きだったアルコールも分解能力が極端に下がり、ほとんど飲めなくなりました。
そうした治療と摂生生活を数ヶ月続けた結果、クレアチニンの値は悪化せず横ばいに推移し、尿素窒素の値は下がりました。
しかし、腎臓というのは1度悪くなったら回復することはない臓器ですので、遅かれ早かれ人工透析になることは変わらないという状況でした。
そのような、暗いトンネルをずっと進んで行くような陰鬱な生活の中で、次第に疲弊してしまったのだと思います
当時の私は、生活の中に心から楽しめるものを何も見出せなくなっていたのです。
生体腎移植という選択、光明が見えた瞬間
そんな時、妻が腎臓を提供してくれると言ってくれました。
とても嬉しかったのですが妻の体も心配でしたし、しばらく考え、ネットでいろいろ調べて見ました。
健康な腎臓の持ち主なら
- 1つの腎臓でも普通の日常生活を送るのに支障がないこと
- 移植手術をしている人が予想以上にいること
- 以前に比べて手術の安全性も向上していること
などを知りました。
担当医師に相談したところ、近年では人工透析を経ない(先行的)腎移植のケースが増加傾向にあり、移植腎定着率や移植後の生存率も飛躍的に高まっていることなど、様々なアドバイスをしていただくことができました。
さいごに
その結果、2017年3月に夫婦合意のもと決断し、腎移植手術の多くの実績がある東京女子医科大学病院を紹介してもらいました。
それからの移植までの6ヶ月間、腎臓・代謝病治療機構に通いつつ、東京女子医科大学病院にも検査のため通院する日々が始まったのです。