ハロー!腎移植レシピエントの肉球アッパー(@hellokidneylife)です。
ついにやって来た手術当日。
この日が訪れるのを、期待と不安の入り混じるフワフワした感覚で過ごしてきました。
思えば、はじめて東京女子医科大学病院を受診したのが半年前、それから生体腎移植手術に向けて準備してきたことが、今日報われるのです。
私の手術は朝1番に行われるので、少し早めに起床してベッド周りの整頓をしました。
というのも、今は7人部屋にいますが手術後は2人部屋に入ることになります。
係りの人がベッドやテレビ台ごと移動しておいてくれます
朝食は胃を空にしておくために食べません。
同時に排便もしっかりしておきます。
私は大丈夫でしたが、出ない場合は座薬で出さなければなりません
ベッドで手術着に着替え、患者着とT字帯(ガーゼ素材のふんどし)、腕時計などの貴重品を1つにまとめておきます(術後は集中治療室で1日過ごすため)。
手術着はガウンタイプ(前開き)の半袖で膝上丈の薄緑色をしています
手術着の下は上半身裸で、通常の下着のほかに黒い弾性ストッキングを着用します。
いわゆる「エコノミークラス症候群」の予防措置ですね
いよいよ手術室へ
8時過ぎ、妻を病棟に残し一足先に看護師さんに付き添われながら、エレベーターで手術室のある2階に降りました。
関係者立ち入り禁止のドアを入ると、広いロビーのようなスペースがあり、ベンチ椅子に座らせられてしばらく待機です。
手術室が何部屋もあるようで、他の手術をする患者さんと関係者で賑わっていました。
本人確認と手術の確認、麻酔科医や様々な担当の医師が入れ替わり立ち替わり挨拶に来てくださいました。
こんなにもたくさんの人が手術に携わるのかと驚きました
やがて手術室に入るよう促され、歩いて入っていくと想像よりも広い印象を受けました。
明るく照らされた室内、手術台の周りに様々な見たことのない機器やモニターが設置され、それぞれの専門スタッフがチェックしている様子。
初めて見る光景に、何か現実感が喪失していくように思えました
もうここまで来たらまな板の上の鯉、覚悟を決めて手術台に腰掛け一呼吸、仰向けになりました。
頭上のライトが眩しいので目をそらすと、私の上に覆いかぶさるようにして心電図のセンサーを胸につける人、血流センサーを人差し指につける人、点滴を繋ぐ人など全身麻酔前の最終準備が始まっているのがわかりました。
不思議なことに、この辺りから周りの声がガラス越しに聞こえるようにボンヤリと遠ざかって聞こえるのです
アドレナリンが最高潮なためなのか、それとも全身麻酔のせいで記憶があやふやになってしまったためなのかはわかりません。
とにかく不思議な感覚でした
全身麻酔、意識を失う瞬間
全ての準備が完了したら、いよいよ全身麻酔がかけられます。
麻酔科医が、のぞきこむように酸素マスクを私の鼻と口に当てて優しく言います。
普通に呼吸しながら1から10まで頭の中で数えてくださいね
言われた通り1、2、3、………まで数えると視界が周りから白くしぼんでいき意識を失いました。
目が覚めたときの異変
目が覚めた時には、当然ながら全ての手術が終わっていました。
意識がはっきりしてきたのは、HCU(高度治療室)へ移動するベッドの上だった気がします。
レシピエントは術後およそ24時間、東病棟のHCU(高度治療室)で全身管理を行います。ドナーはすぐに一般病棟に戻ります。
HCU(高度治療室)は、ICU(集中治療室)と一般病棟の中間に位置する病棟で、ICUよりもやや重篤度の低い患者さんや手術直後の患者さんを受け入れます。
体感的には2〜3分しか経っていない感じでしたので
もう終わったんですか?
と集中治療室の看護師さんに聞いたのですが、声が高くしゃがれたようにしか喋れません。
はい、無事に終わりましたよ
妻は無事ですか?
と下腹部に力が入らないのを感じながら尋ねると
あはは!もちろん!とっくに病棟に戻ってますよ
との返答。
安心して首を左右に動かすと、周りの状況がわかってきました。
今いるのは、壁や天井、床がベージュ色でカーテンで仕切られたベッドがあるだけの普通の部屋です。
といっても一般病棟の病室とは比べ物にならないほど広々しています
今はベッドに仰向けに寝た状態。
首の透析用短期留置カテーテルへ点滴2本が繋がれ、膀胱の右側辺りからドレーン、尿道から膀胱留置カテーテルが体外に出ています。
弾性ストッキングは履いたままですが、それまで着ていた手術着と下着は、手術中に脱がされてガウンタイプの患者着とT字帯に着替えさせらていました
ドレーンから出る血液と膀胱留置カテーテルから出る尿を貯めるバッグは、ベッドサイドの点滴をかける棒の下の方に設置してあります。
それと両膝下に血流促進のためのマッサージ機(エアーで締め付けたり緩めたりするタイプ)が装着されています。
つまり、あまり身動きができない状況だといえます
看護師さんにナースコールの場所と痛み止めの点滴(看護師さんは「麻薬」と呼んでいた)の投与ボタンの場所を教えてもらうと、あとは基本的に1人の時間を過ごします。
もちろん常に看護師さんが様子を見ています。
水を飲ませてもらったり、顔を拭いてくたり、主治医や移植コーディネーターさんが挨拶に来てくれたりしました。
その都度、声を発するときの喉の違和感や身体に力が入らない感覚を味わったのです。
傷の痛みとの戦い
術後しばらくは身体が鉛のように重く、意識もなんだかぼんやりしています。
全身麻酔が完全に覚めていないのかどうかはわかりません。
とにかく身体が人生最大レベルで弱っている感がスゴイのです
幸いだったのは、手術前に説明を受けていた稀に起こるという、術後の頭痛や吐き気がなかったことです。
1時間ほど経つと右腹の傷の「ず〜〜ん」という重い痛みが、どんどん増していくのを感じました。
指で押すタイプの痛み止め点滴のスイッチを押してみます。
「カチッ」と音がしておよそ1分後、少し楽になってきました。
しかし10分くらいするとまた痛み出します。
そしてまた押す。
その繰り返しをしているうちに、だんだん効きが悪くなってくるのがわかりました。
その傷の痛みと対峙している間にも看護師さんが来てくれて、通常の点滴の交換のときに
大丈夫ですか?
吐き気はないですか?
などと気遣ってくれるのですが、私はいつも
い、痛いです……
としか答えられませんでした。
痛かったらボタン押してくださいね
お、押してます……
中にはさほど痛がらない人もいる中で私は特に痛がっていたようです。
やがて痛み止め点滴は底をつき、ボタンを押しても押しても楽にならなくなりました。
ナースコールを押して、看護師さんに交換してほしいと伝えると
麻薬だからあと4時間は使えません、我慢してくださいね
と残酷な言葉。
そのまま痛みに耐える時間が続きました。
体の自由もままならず、見知らぬ天井を見ながら痛みに耐えに耐え、やっと新しい痛み止め点滴を用意してもらったのですが、ボタンを押しても効き目の実感がなお薄くなっていました。
麻酔から覚めたのが何時だったかを知らないので、今が昼なのか夜なのかどうかもわからない中で、朦朧としながら耐えているうちにボタンを連打していたようです。
○○さん、そんなに押しても一定時間に一定量しか出ませんよ
と注意されたのを覚えています。
さいごに
このあとのことはあまり良く覚えていません。
寝ているのか起きているのかわからないどんよりと重い体と、とにかく右の脇腹が痛すぎるということしか頭にない時間がどのくらい続いたでしょうか。
突然、目の前に見覚えのある笑顔が現れました。
病棟の看護師さんでした。
安定したようなのでベッドごと病棟に戻りますね
と嬉しい言葉。
実際、もうこの部屋から、この地獄から一刻も早く抜け出したい一心でしたので、心から安堵しました。
男性のベッド係の方にベッドをガラガラ押してもらって廊下を通り抜けたとき、窓の外が明るいのを見てはじめて、翌日のお昼前頃なのだと知りました。
天井が移動して行くのを見送りながらベッドは進み、エレベーターに乗って中央病棟9階に戻ったのです。
この頃になると、傷の痛みはほんの少しだけ緩和してきていました